自分の顔を鏡でじっと見つめて下さい。うっとりするのではなく、よく観察してください。
すると眉は2つ、目も2つ、耳も2つ、鼻は1つでも穴は2つある、口も2つあってよさそうですが1つなのです。
目はモノを見るためにあるし、耳は音を聞くため、鼻の穴は酸素を吸入する。
ところが、口だけは、食べるだけの働きから、不要なモノである麻薬、たばこ、大酒など体に悪いモノまでも口に入れます。
人種によっては、愛の表現までもが口でするようになってしまいました。
口は働き過ぎなのに、話をする役までも、仰せつかっています。1つしかないのに。
身体は、長い年月を経て合理的に作られてきています。天地創造の主はなぜ口を1つにしてしまったのでしょうか。
「聖」と言う字をよく見ると、耳が大きく口が小さく書いてあります。確かに聖人といわれる人は、あまりしゃべらない。人の話をよく聞いて、自分は必要以上にに話さない。
ドウモ私たちは、耳をもっともっと使って、口は少し休ませてやらねばならないのではないでしょうか。わたしたちは、ともすると話さないでいい事を話しては損をしている。
「俺が俺が」と話せば話すほど人に嫌われる。いま大切なことは、目の前にいる人なのです。その人は自分について触れてほしいと思っているのです。
口は1つ、耳は2つありますので、当然聞き上手になることが自然の摂理にかなっているわけです。自分が成功するためには、人の力を借りなくてはなりません。
それには、目の前の人を見方にすることが必要です。今目の前の人を見方に出来れば、つぎに会う人をもまた、見方にすることが出来るのです。
つまり「聖」という字は、人の話に耳を傾けることこそが王道であると言っているのはないでしょうか。
(館名:小原庄助こと、齋藤純一)