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庄助日記(ブログ)〜日々の其の彼レ是れ〜
   
 

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2006年10月の記事一覧

2006年10月01日

ちょっといい話PART1

人間の毒は生物まで殺す アメリカの心理学者エルマ・ゲイツ博士は、人間の吐き出す息で実験をしました。 息を冷却空気で冷やしてやると沈殿物が出来、その色によって人間の感情の状態が判るという物です。 健全な人間の吐き出す息の色は無色で、怒っているときは栗色、悲しんだり、苦しんだりすると灰色、後悔して苦しんでいると淡い紅色になるそうです。

怒っているときの栗色の沈殿物を水に溶かしてネズミに注射すると、わずか数分で死んでしまったのです。
もし、人間が1時間腹を立て続けると、なんと80人の人間を殺す事が可能な毒が発生するという恐い話です。「笑う門には福きたる」いつもニコニコしている人が健康であることが理解できますね。

庄助の宿瀧の湯は「ニコニコ、ハキハキ、アリガトウ」で頑張ります。 

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月02日

ちょっといい話PART2

うそー、その「まさか」で人は死ぬ 1883年にオランダで国事犯を使って実験をしたそうです。 人間からどれだけの量の血液をとったら、死に至るかというものです。 国事犯をベッドに縛り付け、その周りで話をしました「1/3の血液を失ったら人間は死ぬでしょう」と言う結論に達しました。

医師団は実験を開始して、国事犯の足の親指にメスをいれ、そして容器に血液がポタポタとしたたり落ち始めたそうです。
数時間後、医師団が「どれくらいになりましたか?」「まもなく1/3になります。」と言いました。
それを聞いた国事犯は、静かに息を引き取ったと言う話です。

実は、これは心理実験で、足にメスを入れるといっても痛みだけを与え、容器には用意しておいた水滴をたらしていたのです。人間とは、まさにその「まさか」で、死ぬという大変恐い話です。

「病は気から」以上に恐ろしさを感じます。健康な強い精神が大事ですね。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月03日

ちょっといい話PART3

「異質性」 鰯(イワシ)という魚がいますが、生きた鰯を見ることはあまりありません。 鰯を生きたまま陸揚げすることは大変難しく、港に戻ってくる前にほとんどが死んでしまうのだそうです。大変デリケートな魚なので魚編に弱いと書くのでしょうか?(余談です)

ノルウェーのある漁師の鰯だけは、何故か港に着いてもピンピンはねている。そこでその秘密を聞いたところ、その漁師は黙って一匹のナマズを取り出しました。
いけすにナマズを一匹入れておくと、鰯は見たこともない先客に驚き、緊張し、その緊張のために港まで元気にたどり着くそうです。

違ったカラーや、新しい血をいれることで、周囲は緊張します。
この緊張感がマンネリになりかけた組織をリフレッシュしてくれるのだと思います。皆さんはど思いますか?

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月04日

ちょっといい話PART4「3つの財産」

経営の神様といわれた、松下電器の創業者松下幸之助は「人を生かすことで一番大切なことは『配慮』だ。 人に対する配慮、思いやり、共感がなければ、人を動かすことが出来ない」と言っています。

挫折したこともない、病気もしたことがない、苦しみを味わったこともない。
そういう順調な道を歩いてきた人は、悪意はないが、人間の弱さや辛さ、失意のときのおもいやりの温かさなどが実感できなくて、つい人間味に欠けがちであるそうです。

松下幸之助には3つの財産があったと言っています。
ひとつは、学校へ行かなかったこと。
2つ目は、健康に優れなかったこと。
3つ目は、決断力が弱かったこと。
だからこそ、人が教えてくれたり、助けてくれたりして成功したと言っています。

自分の欠点を欠点と認めて、しかも失敗を失敗として終わらせることなく、そこから始められるか否かが、成功者と失敗する人との分岐点ではないでしょうか。これもまた、プラス思考そのものですね。現在のような閉塞感が漂う不安定な時代だからこそ、このような考えが大切だと思います。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月05日

ちょっといい話PART5「人類2000年の歴史」

新世紀になって約半年、月日が経つのは早いものですね。

46億年の地球の誕生から,今日までの歳月を1年間にたとえたのが「地球暦」です。
海が出来,最初の生物が登場したのが5月。生物が陸に上がったのが11月下旬のこと。恐竜全盛時代は12月。そしてクリスマスには絶滅し、4百万年前の人類の登場は、大晦日の12月31日午後11時57分48秒だそうです。

そして、西暦1000年は午後11時59分56秒になります。人類2千年の歴史も地球にとっては、わずか8秒に過ぎないのです。
私たちが生存する期間は、目の瞬きの一瞬にも満たない時間なのです。

私たちは、目の前の小さなことにクヨクヨ悩んでいる時間はなく,大胆に自分の人生を謳歌したいものですね。時間を大切にしながら,地球人として頑張りましょう。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月06日

ちょっといい話PART6「聖」という字 

自分の顔を鏡でじっと見つめて下さい。うっとりするのではなく、よく観察してください。 すると眉は2つ、目も2つ、耳も2つ、鼻は1つでも穴は2つある、口も2つあってよさそうですが1つなのです。 目はモノを見るためにあるし、耳は音を聞くため、鼻の穴は酸素を吸入する。 ところが、口だけは、食べるだけの働きから、不要なモノである麻薬、たばこ、大酒など体に悪いモノまでも口に入れます。 人種によっては、愛の表現までもが口でするようになってしまいました。 口は働き過ぎなのに、話をする役までも、仰せつかっています。1つしかないのに。

身体は、長い年月を経て合理的に作られてきています。天地創造の主はなぜ口を1つにしてしまったのでしょうか。
「聖」と言う字をよく見ると、耳が大きく口が小さく書いてあります。確かに聖人といわれる人は、あまりしゃべらない。人の話をよく聞いて、自分は必要以上にに話さない。

ドウモ私たちは、耳をもっともっと使って、口は少し休ませてやらねばならないのではないでしょうか。わたしたちは、ともすると話さないでいい事を話しては損をしている。
「俺が俺が」と話せば話すほど人に嫌われる。いま大切なことは、目の前にいる人なのです。その人は自分について触れてほしいと思っているのです。

口は1つ、耳は2つありますので、当然聞き上手になることが自然の摂理にかなっているわけです。自分が成功するためには、人の力を借りなくてはなりません。
それには、目の前の人を見方にすることが必要です。今目の前の人を見方に出来れば、つぎに会う人をもまた、見方にすることが出来るのです。

つまり「聖」という字は、人の話に耳を傾けることこそが王道であると言っているのはないでしょうか。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月07日

ちょっといい話PART7「人生のキャンドル」

田中良雄さんの詩です。 『キャンドルサービスで、いつも思う事がある。 暗黒の中の1本のローソクの火が、順に伝えていくにつれ、周囲がだんだん明るくなる。 多くの人に分けても、火は少しも暗くならない。 一隅を照らす火の動きは大きい。 一隅を照らすものでありたい。 私の受け持つ一隅が、どんなに小さい、惨めな果敢ないものであっても、わびれず、ひるまず、いつもほのかに照らしていきたい。』

お金や物そして財産は分けたり、使ったりすれば当然減ってしまいます。しかし、人間にしか持ちあわせていない優しい心のいたわりや、慈悲の心は、あたれば与えるほど、他の人の心に温かい灯をともし、次々と点火していきます。私たちもまた、小さいけど温かい灯を、ともせる人でありたいと思います。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月08日

ちょっといい話PART8おやじ臭い

最近「加齢臭」という言葉が頻繁に使われています。 いままで、OLなどが「おやじ臭い」と言っていた臭いのもとが「ノネナール」という物質である事が判りました。 加齢臭は、皮脂中に含まれる過酸化脂質が酸化されることで発生すると言われます。 特異的に、40代以降に加齢臭が発生するのも、過酸化脂質量が急激に増加するからだそうです。

実は、これは奇病でも難病でもなく、いくつかの心掛けで解決します。1つには、腸内フローラといわれる腸内の細菌バランスを整える事。それには、市販の整腸剤を用います。
また「オナラの臭い」も無くなります。もうひとつは、クマザサエキスのような葉緑素製品を用います。これは、葉緑素が血液を浄化する事によるそうです。
私は、有効微生物から出来たEM飲料を飲用しています。「男の臭い」がセクシーさのひとつとされていたのは、昔の話で現在は「無臭人間」が好まれる時代だそうですよ。臭いには気をつけましょうね。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月09日

ちょっといい話PART9「与生」を精一杯生きる

人は、自分の意志でこの世に生を受けたわけではありません。 同じように、自らの意志で阻止できない死が訪れるまで、精一杯自分自身を燃焼させなければなりません。 そんな宇宙から与えられた「与生」も、人生50年を過ぎれば、社会人として生きられる半分以上は過ぎ、戻り通にさしかかっています。 定年後は「余生」という考えがありますが、それでは寂しい限りです。自分で自分に誇れる「与生」を、最後まで生きたいものです。

自分の「与生」が本当に実のあるものだったかどうかは、これからの生きかたで決まるのではないでしょうか。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月10日

ちょっといい話PART10「人間中心主義」

元禄時代の経済や世相を鮮やかに描いた井原西鶴は「不況の乗り切り方には、始末・算用・才覚・信用が大事であると言っています。 不況でも、消えないニーズがあり、また、新しく生まれるニーズもあり、これに応えるのが経営である」と言っています。 江戸時代の大不況時に年2回の決済で酒をたるで大量に仕入れ、ツケを認めずに現金払いとし、空き樽を酒屋に引き取らせる。などの方法で、酒を原価販売して大繁盛した店があったそうです。

お客様第一に考えて知恵を働かせれば道はあると言う事ですね。この根底には才覚ばかりでなく、不況にあえぐ人々に、少しでも安い酒を提供して喜んでもらいたいと言う人間中心主義があるように思えてなりません。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月11日

ちょっといい話PART11「300%UPの仕事をこなすコツ」

アメリカの心理学者であるメリル・ダグラス博士は「友人が心臓発作を起こして、医者から6ヶ月間の自宅療養を命じられ、その後1日3時間に限って仕事をする事を許されたそうです。 気が付いてみると、彼は以前には8〜9時間かかっていたのと同じ分だけの成果をあげていた」というのです。 コツは、重要でない事柄の一部を削り、重要な事をもっとたくさんやるようにする。と言うことであったそうです。

仕事の成果は、その仕事の2割合であとの8割を決めると言われています。
モノ作りの時代は、1時間で10個の製品が出来れば、10時間で100個の製品が出来ましたが、知恵の時代になると、時間と成果は一致しなくなりました。

たとえば、面白いゲームソフトなどは、能力のある人はすぐにアイデアを思いつきますが、人によっては1年考えても出来ません。

この様に、時間と成果は一致しない時代です。私たちも、時間の中味、質を大事にしていきたいものです。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月12日

ちょっといい話PART12「与生」を精一杯に生きる

明けましておめでとうございます。本年もよろしく御願いいたします。

人は、自分の意志でこの世に生を受けたわけではありません。
同じように、自らの意志で阻止できない死が訪れるまで、精一杯字自分自身を燃焼させなければなりません。
そんな宇宙から与えられた「与生」も、人生50年を過ぎれば社会人として生きられる半分以上は過ぎ、戻り道にさしかかっています。

定年後は「余生」と言う考えがありますが、それでは寂しい限りです。自分で自分に誇れる「与生」を、最後まで生きたいものです。
自分の「与生」が本当に実のあるものだったかどうかは、これからの行き方で決まると思います。「生きがいを見つけること」だと思います。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月13日

ちょっといい話PART13「恵まれすぎる」

お金持ちになった。物も豊富になった。美味しいものも食べられるようになった。 でも、それで本当に幸せになったといえるでしょうか。 「衣食足りて礼節を知る」といいます。しかし、恵まれすぎると、人の心の痛みが判らなくなります。 苦労して初めていろいろなありがたさが身にしみます。仕事がある。食事が食べられる。家族全員が元気。語れる友がいる。など、当たり前のようですが、誠に「あり難し」です。

自分が今、ここに生かされている不思議さを見つめて感謝しなければ罰があたります。皆さんはどう思いますか?

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月14日

ちょっといい話PART14「運命」

命には、天命と宿命があるそうです。 天命とは、男とか女に生まれたと言うように自分ではどうしようもないものだそうです。 宿命とは、相対的なもので、人間の力で打ち開いていく事の出来るものだそうです。 自分の思慮が足りない、あるいは努力が足りないものを運命のせいにして「自分にはどうしようもない」「年回りが悪いから」などと言いがちです。

結局自分の努力を棚に上げて、言っていたほうが楽なのです。何事も「自分の力ではどうしようもない」とおもうほうが楽だから、それで自分の気持ちをなぐさめて甘えているのです。

宿命は、すべて打開することが出来ます。
自分の心に「諦めはないか、甘えは無いか、憎しみや怒り、妬み、悶えは無いか」と問て見ると、ほとんどが宿命だそうです。私たちも常日頃「運命だからと諦めていませんか」宿命に頑張ってチャレンジしていきましょう。  

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月15日

ちょっといい話PART15「YES,NO」

今大変売れている本に「日本村100人の仲間たち」があります。 その第2章にこんな文章があります。・・・日本村は、外から見ると、とてもヘンな村です。村では「すこし」とは、「たくさん」のことです。 これは、大変矛盾していることですが、日本村では当たり前の事です。「ここがすこしおかしいよ」といわれたら、そこは「だいぶおかしい」というわけです。 「すこし、話がある」と言われたら、かなり言いたい事があるわけです。・・・・

いまさらながらついつい頷いてしまいました。さらには、朝、昼、晩、の挨拶、謝りのとき、感謝する時の「どうも」だけで通用する不思議な言葉。

「けっこうです」というYES,NO両方の意味があるとてもヘンな言葉。この違い、外国の人には理解できそうにありません。大体このようなことが書かれていました。
日本人はYES,NO,が言えないとよく言われますが、日常の言葉にも一因あるのではと、納得とともに反省している今日この頃です。皆で言葉遣いに気をつけましょう。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月16日

ちょっといい話PART16「運命は心の中にある」

ヘルマン・ヘッセは、「運命は心の中にある」と言っています。 それは、「意識が行動を作り、行動が習慣を作り、習慣が体質を作り、体質が運命を作る。」からだと考えています。 ですから、自分の運命を変えようとしたら、自分の心を、つまり、意識を変える必要があります。 意識を変えるにはどうしたらよいのでしょう。

私たちは「この頃あの人かわったね」と言う時、言葉遣いや、行動の変化を見て判断しています。
たとえば「急ぐ」と言う行動を考えるてみると、人間は言葉で考える動物ですから、心の中で「急がなければ」と言う気持ちが、歩幅を大きくさせます。そして急ぐ行動を起こすわけです。
ですから、行動を変えるには、言葉を変えればいいのです。これがポイントです。
意識を変えるには、言葉を意識して変える事です。意識しているあいだは、本物ではありませんが、そのうちに無意識で行えるようになってくるそうですよ。

出来る限り積極的な言葉を使って、前向き肯定的人間になりたいものです。頑張りましょう!

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月17日

ちょっといい話PART17「のに」がつくと愚痴になる

私のところには、相田みつを心のギャラリーがあります。 また、自宅のトイレに入ると、相田みつをトイレカレンダーがあり、1日づつ詩が書いてあります。 同じ文言でも心の状態や健康状態によって、解釈が異なったり、感じ方が変わります。 「あんなにしてやったのに」の「のに」がつくと愚痴になるという詩があります。

今の私たちは、仕事や職場、いろいろな団体を通じて友達を得ることが多いとおもいます。ところが、職場を離れてもなお友であり続けることは大変難しいとおもいます。
どこかで利でつながっていた関係だから、利がなくなったら去っていく。そんなとき、あんなにしてやったのに、という愚痴がつい口をつき寂しい思いをするものです。
利益以外の新の友達をつくる努力をしたいものですね。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月18日

ちょっといい話PART18「危機にさいして発揮される潜在意識」

よく「火事場の馬鹿力」に例えられるように、危機に遭遇すると、思いもよらない力や機能が発揮されるのです。 ここに、エクアドルの病院で起きた不思議な出来事を紹介します。 この病院には8人の中風患者が収容されていました。そこに、1匹の大蛇が窓から侵入してきたそうです。 この8人の患者は、これまで身体を動かすことが出来なかった人たちでしたが、不思議にも、どの患者も突然、しかも完全に病気が治ってしまったのでした。 2年間も病床を離れることが出来なかった一人の患者は、地上2メートル近くもある窓から飛び降り、病院の中庭を横切って逃げ出したと言うのです。


危機が本来内在している能力を発揮させたのでしょうね。私たちも、潜在能力の開発こそが成長のための必須条件ですね。頑張りましょう。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月19日

ちょっといい話PART19「危機にさいして発揮される潜在意識その2」

1975年、6月5日午前10時、堺市の大阪府営住宅に住んでいる洋一ちゃん3歳が、5階の窓から落ちたそうです。 たまたま路上を歩いていたその子の母親が我が子が落ちるのを目撃して、窓の下まで8メートルの距離を夢中で走っていって、我が子を腕で受け止めたそうです。 5階から路上まで12メートル、母親はその落下スピードよりも速く走り、その圧力は専門家によれば、子供体重の4から8倍になっていたといいます。

このことは、いくつかのテレビで取り上げられ、何人かの母親による実験が行われましたが、誰一人として落下に間に合って、窓下まで走れた人はいなかったそうです。

この母親の走力と腕力は、一体どこから生まれたのでしょうか?危機にさいして発揮された潜在意識(能力)なのです。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月20日

ちょっといい話PART20肯定的人間とは

20世紀を代表する経営者に、松下電器の松下幸之助さん、ホンダの本田宗一郎さん、ソニーの井深大さんがいます。 これらのすばらしい経営者の共通点は何かということを、過去の経歴、経営のやり方などを分析、調査したことが発表されたことがありました。 以外にも、この方々は、天才でも、抜群の秀才でもありませんでした。 松下幸之助さんは、小学生のころは読み書きがあまり得意ではなかったし、暗記ものも苦手で、成績も中ぐらいだったそうです。 本田宗一郎さんは、小学校のころはガキ大将で遊んでばかりいたので、成績はクラスで最低のほうだったそうです。 井深大さんは、3人のなかでは学歴があり、早稲田の理工科卒業ですが、東芝の就職試験を受けましたが落っこちた程度でこれまた非常に優秀ということではなかったそうです。

それでは、何が素晴らしい経営者にさせたのでしょうか。それは、たった一つほかの人よりも秀でるものがあり、それを伸ばしたそうです。
また、3人が共通しているものは、「プラス思考」の持ち主であったことです。
この肯定的人間の特徴は、いろいろな困難に遭遇しても、絶望的にならないで、自分のペースでこつこつ努力できるタイプの人であり、物事を悪い面ばかり見ないで、よい面を見たり良い方に思考するタイプの人間です。

さあ、私たちもこれに習って、肯定的人生観をもって、生きて行きたいと思います。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月21日

ちょっといい話PART21心構え

江戸時代の有名な商人の話があります。

季節は8月の猛暑に、二人の商人が道ずれになりました。もっとも難所と言われた碓氷峠を越え、やっと頂上に来たので、一休みしょうと、木陰に入り、人心地ついた思いでした。
商人の一人が堪り兼ねて「やれやれ、たまったもんじゃありません。この峠がもう少し楽に越せるものならいいのに、こんなに険しくては、ほとほと困ります。私はこんな辛い思いをするくらいならば、こんな商売止めてしまおうかと思います。」と。
ところが、もう一人の商人は、
「いえ、私はまたこの峠がもっと、険しくあってくれれば、もっとありがたいと思います。どうしてと言って、そうなれば、ほかの人たちもあなたのようにこの峠を途中で引き返していくでしょう。そうすれば、私は思うように商売が出来ますから。」と言ったそうです。

この人は、はるばる近江から来た商人で、江戸はもちろん大阪でも成功したのは、この心意気があったからでしょう。
同じ条件を片方はいやだと言い、片方はそれでこそよいのだと言うこの違いは、やはり心構えの違いなのでしょう。
さあ、私たちも心を構えてチャレンジしていきましょう。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月22日

ちょっといい話PART22リーダー像は すずめの学校 めだかの学校

童謡に「めだかの学校」と「すずめの学校」があります。 良く唄った歌です。だあれが生徒か先生か分からないめだかの学校。 鞭をふりふりチーパッパのすずめの学校です。 先のめだかの学校は民主的、あとのすずめの学校は権威的だというのです。 リーダーはこの使い分けを誤ったり,やたらに権威的で、ムチばかり振っていると、相手から拒絶反応を受けることになります。 また、民主的ばかりですと、指導の成果が全然あがりません。リーダーとして大事なことは、規則、躾、心構えなどを教えていこうとする場合、厳しくこれを実行する必要があります。 また、個人的能力や創造力を育む場合は、民主的指導にした方がいいとされています。

このように、リーダーはひとつの指導においても使い分けをすることによって、人は良く育つということを覚えておきたいものですね。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月23日

ちょっといい話PART23 感動人間

十人十色、人は様々、と言われるように一つの事柄についても、その捉え方は様々です。 「手を打てば、魚寄る,鳥逃げる、女中お茶汲む、神頼み」という唄があります。 手を打つことは一つですが、手を打つことによって、魚がえさをもらえると思って寄ってくる、手を打つことによって驚いて鳥は逃げ去り、手を打つことによって女中さんはお茶やお酒を持って来る、また神様に願い事するためにも手を合わせることも形は一緒です。

おなじ話や出来事に遭遇しても、それに心を打たれて感動する人もいれば、全然無関心無感動の人もいます。
また、人から親切にされたときも、それをあたりまえだと思う人もいれば、心からありがたいと感謝する人もいます。
この場合どちらが正しいと言うよりも、そこに感動を覚える人は、繊細な心の持ち主です。
そういう人は、何事によらずに感動しやすく、そこから好ましいものが生まれてくるのではないでしょうか。
反対に無感動の人は、そこからは好ましいものが生むことが出来にくいのです。
この感動はどこから生まれるのか。
それは、「純心さ」ではないでしょうか。この純心さが、より望ましいものを生む原動力になるのです。

我々この純心さのことををもう一度見直す必要がありますね。互いに頑張りましょう。本年もお世話様になりましたが、来年もよろしくお願いいたします。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月24日

ちょっといい話PART24 2匹の蛙

2匹の蛙が牛乳の入った大きな瓶に落ちてしまいました。 足場が無いので外に出ることが出来ません。1匹は諦めて牛乳におぼれて死んでしまいました。 片方の 1匹は諦めずにもがき続けているうちに、気がついてみると足場が出来ていたので、どうやら助かりました。 何故かと言うと、牛乳がかき混ぜられているうちに、バターになって、それが足場になったと言うお話です。 牛乳がそう簡単にバターになるかどうかは別にしても、とにかく根気よく時間をかけて物事に打ち込めば必ず目標は達成でき、成功するというお話です。 私達は、まず諦める前に、もう一度徹底して挑戦する勇気を持ちたいものですね。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月25日

ちょっといい話PART25[2匹の蛙」

小噺に「2匹の蛙」というものがあります。 江戸と京都からそれぞれ旅立った2匹の蛙が、富士山麓で出会い、自分の住んでいた都を自慢しあっていました。

片方が「俺の町は、日本中で一番大きく、美しい町なんだ」といえば、もう一方の蛙は「それはうそだ。俺の町こそ一番だ」と自慢し、相手の町をこき下ろしていました。
らちがあかないので、それでは富士山頂に登って、どっちの町が立派か、見較べてみようと一気に駆け上がりました。
そして小さい2本足で立ち上がりながら、それぞれの町を眺めて、「やっぱり、おまえの町は小さくて汚いぞ」と言い合っていました。
ところが実際に蛙たちが眺めたのは相手の町ではなく、自分の町だったのです。と言うのは、蛙の目は頭の後ろについているからです。
そうとも知らずに、なおも言い合いは続き、物別れになってしまいました。

私たちもこの蛙と同じように、相手を理解する心が足りないのではないでしょうか。「俺が俺がのがを抑え、お陰お陰のげをあげよ。」名言ですね。


(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月26日

ちょっといい話PART26[時間は生命の雫」

私たちには、それぞれ一生という時間があります。 何となく長いような気がしますが、実はごく限られた時間なのです。 一年間は8,760時間、 31,536,000秒ですから、百年生きたとして、876,000時間、31億5360万秒です。 「時は金なり」と言いますので、金額であらわすと、生涯賃金3億円とすると、10秒に約1円稼いだことになるのです。 百年も働く人はいませんが・・・。

皆さんは、健康で働けるのは後何秒でしょうか。数字に表してみてください。「時間は生命の雫」と同じで、ろうそくが自分の身を溶かしながら、火を灯している姿にどこか似ています。
私たちは時間をより大切にしたいものですね。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月27日

ちょっといい話PART27「志(こころざし)」

孔子の言葉に「われ三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る」があります。 人生の設計について言った言葉ですが、人生五十年時代には当てはまっていただろうが、現在の八十年時代ではどうにもしっくりこない。 そこで、現在に直すと「五十で立つ、六十で惑わず、八十にして天命を知る」ということになります。 普通志は若いころに立てよと言いますが、今は五十歳近くでも遅いことはありません。

孔子は「六十にして耳順う。七十にして心の浴するところに従えども矩をこえず」と言っています。
これを現代版にすると「九十にして耳順う、百にして心の浴するところに・・・」となるでしょう。現在八掛け人生と言っています。
実際の年齢に0.8を掛けた年齢が精神年齢で整合性が取れるのです。
葛飾北斎は73歳で「富嶽百景」を描いたとき、前書きに「九十歳にしてなお奥意を究め、百歳にして神妙ならん、百有十歳にして一点一画にして生きるが如くならん」と自分の志を語っています。

人生おいて志を立てるのに遅すぎると言うことはないと言う証でしょう。私の大好きな田中真澄先生も言っています「人生は今日が始まり、昨日まではリハーサル」と。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月28日

ちょっといい話PART28「与えれば必ず与えられる」

碁の初心者は誰でもやたらと相手の石をとりたがるのだそうですが、上手くなるにつれて、相手に石をとらせたがるようになる。いわいる「捨石」だそうです。 一時損をするが先に行って大きく勝つためには有効な方法なのです。

上達した人同士の勝負では、とった方が「上手く石を取らされた」と悔しがるそうです。
自分が大きく得するためには、一時的な損に強くなる事が大事だそうです。
たしかに、タライの水を自分のほうへ寄せよう寄せようとしてかき集めても、向こうへどんどんと逃げていきます。反対に向こうへ押しやればやるほど、水はこっちへ集まってくるのです。
つまり、「与えれば与えられる」のです。人間同士にもこれは当てはまります。
「他人に尽くせば尽くすほど、それだけ自分に帰ってくるのです。」自分だけ幸せになろうと思っている人は、残念ながらいつまでたっても幸せにはなれないのです。
例えて「振り子の法則」とも言います。なるほど、商売から親子、恋人にいたるまですべてに当てはまりますね、大変感心させられました。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



2006年10月29日

ちょっといい話PART29「善人と悪人」

ある町に2軒の家が並んでいました。

齋藤家と小泉家です。齋藤家は、近所もうらやむほどの仲良し家族、一方の小泉家は年中家族同士の喧嘩が絶えません。そうしたある日、偶然道端で両家の主人があったそうです。
すると、小泉家の主人が尋ねました。「お宅は皆、仲がよくてうらやましい。それに引き換え私どもの見苦しさときたら、恥ずかしい限りです。ひとつ、家庭円満の秘訣を教えてくださらんか」と。
すると齋藤家の主人は、「お恥ずかしいのは私どもです。何しろうちは皆、悪人ばかりですから」冗談をおしゃいますなと言ってなお聞くと、
「今朝ほども、家内が台所の姑の茶碗を割ってしまいました。すると、家内は母に『お母さんの大事な茶碗を割ってしまいました。ああすみません、私が気をつけなかったのが悪かったと詫びるんです。』
すると、姑の母が、『いやいや、私がそんなところにおいたのが悪かった』と言うんです。こんなわけで私の家はみんな悪人ばかりです。」
これを聞きながら小泉さんは俺うちだったら「なにをぼんやりしていたの目はどこについてるの」
と姑が言えば「なによ、ぼんやりしていたのはかあさんでしょ。こんなところにおいて。置いておくほうがいけないんじゃないの」
この嫁と姑の舌戦を皮切りに、てんやわんやが始まるのです。小泉さんは結局「私の家では、みんなが善人になろうとするんだ。私は悪くはない、悪いのは自分以外にあるといい始めるから、いざこざが絶えない」と思った言う話です。

こんな、小泉家と同じような家庭や人は多いのではないでしょうか。この、齋藤家のようになりたいものですね。頑張りましょうね。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)


2006年10月30日

ちょっといい話PART30「かんしゃく」

ある日のこと高僧のところに、男が相談に来ました。 その男の言うことには「生まれつき短気で困っています。どうか直してください。」と。 高僧はニコニコしながら「なるほど、あなたはなかなか面白いものを持って生まれてきたものですね。直してみるので、その短気とやらを、見せてほしい。今お持ちですか」 「いや、短気を今ここに出せと言っても、短気を起こすあてもありませんので、今はございません。」 すると「しかし、あなたは先ほど生まれつき持っていると言ったのではないですか。遠慮はいらないから身体のどこかにあるはずなので探してみなさい」と。 「そう言われますと困りますが、今のところどこにもありません」 「そうだろう。ある道理がないのです。あなたは、生まれながらと言うが、元来、短気というものはないのだ。今後、ムラムラとかんしゃく玉が破裂しそうになったら、この短気野郎、どこから出て来るのか出所を探してみるのがよい。 あなた自身が出すのです。自分自身が出さなければ、どうして短気が出るものですか。己が出しておいて、生まれつきとは、勝手なことだ。」と諭したと言うのです。

ならぬ堪忍、するが堪忍。大切なことは心であり、心の持ちようだと言っています。私たちもこの逸話の重みを感じていきたいものですね。 「かんしゃくの くの字を捨てて ただかんしゃ」いい言葉ですね。

(館名:小原庄助こと、齋藤純一)



   

 
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