和田稔著の徳育のすすめのなかに、尋常小学校修身書が掲載されていました。
そのなかに、会津出身で今年の秋から新千円札の肖像になる野口英世の「志を立てよ」のタイトルでこう書かれていました。
『第二十一 志を立てよ 野口英世は、三歳の時、ろにころがり落ちて、ひどいやけどをしました。母の一生けんめいのかいほうのかひがあって、命だけは助かりましたが、左の手に大きなきずが残り、指先のきかぬ不自由な軆になりました。
五歳・六歳となって、英世は、世に出て近所の子供たちと元気よく遊ぶやうになりましたが、きやうそうでもして英世が勝つたときなどは、負けた子供たちは、くやしまぎれに、英世のかたはの手をわらひました。
小学校にいくやうになつても、友達はやはり其の手を笑ひました。英世はざんねんに思ひ、「手は不自由でも、一心に勉強して、きっと、今に、りつぱな人になつて見せるぞ。」とかたく決心しました。
英世は、うちがびんぼうふでしたから、毎朝早く起きて、近所の小川や沼に行つて川魚をとつて売り、其の金でふでやすみなどを買ひました。又、夜、本を讀みたくても、あかりをともすことができませんから、冬はろのたき火をたよりにし、夏は学校の小使室に行つて、ランプの光で本を讀みました。
英世はかうして、いうとうで尋常小学校をそつげふしました。それから、或人の世話で、高等小学校に行くことができましたが、英世は、遠い道をかよつて一生けんめいに勉強しましたので、せいせきは一そうよくなりました。
其のうちに、人々の親切で、医者のしゆじゆつを受け、手が余程自由に使へるやうになりました。
手がよくになるにつけて、英世は、医術が人を助ける仕事であることを知る、医者の学問をして、世のため人のためにつくしたいといふ志を立てました。
そこで、高等小学校をそつげふすると、さきにしゆじゆつを受けた医者にたのんで、其の弟子にしてもらひました。それからの英世の勉強は、一そう烈しくなりました。
医者の手伝をするひまに、いろいろ医学の本を讀み、外国語のけいこまでしました。
その後、英世は、東京に出て、二十一歳の時、医者のしけんを受けますと、見事にきふだいして、一人前の医者になりました。
それからますます研究を進めるために、アメリカ合衆国に渡り、夜を日についでおこたらず勉強しました。
さうして、医学の上でりつぱな発見をして世界に名高い学者になりました。又、いろいろのむづかしい病気をなほす方法をきふうして、人々を助けました。
昭和三年、アフリカへ渡ってゐるうちに、それがうつつて、五十三歳で、かの地でなくなりました。人々は、英世をあつぱれ人類の恩人と言つて惜しまぬものはありませんでした。』 これが全文です尋常小学校4年生の修身書です。
今こそこのような道徳心を育む教育が大切なのではないしょうか。頑張りましょう。
(館名:小原庄助こと、齋藤純一)