日新館|新島八重特集|東山温泉「庄助の宿 瀧の湯」公式サイト

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新島八重特集

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日新館

会津藩は教育に熱心な藩で、五代藩主・松平容頌の時代に、五ヶ年の歳月を経て総合学校「日新館」は創設されました。敷地内には水練場や天文台までをも備えた全国有数の藩校となりました。

主に儒教の教典を修める素読、弓・馬・槍・剣の武術が必須科目で、優秀だった者は江戸に遊学に出ることができ、後に八重の兄・覚馬も江戸に遊学しています。江戸より戻った覚馬は母校日新館で教鞭をとり、会津の人材育成に努めます。会津藩士の子供たちは、数え年で十歳になると日新館に入学します。

ドラマでも有名になった「什の掟」は、日新館へ入学する前の六歳から九歳のうちに藩士の心得として教えられ、入学後は「生徒の什」というさらに細かい掟の内容を身に付けることが誇りある会津の武士としての義務でした。 しかし、日新館に入学できるのは男子のみ。当時、女子に学問を教えるという概念は無く教育制度もありませんでした。藩士の女子は家族から読み書きを習い、裁縫や機織りを習うのが一般的で、八重は日新館への入学も什に入る事は叶いませんでしたが、父や兄・覚馬から「什の掟」や「日新館童子訓」などを学んで育ちました。

また、いざというときのための切腹の作法や、戦になった時のための武術として薙刀を学びましたが、八重は砲術師範の娘に生まれ、鉄砲の知識を得ていたため、薙刀が通用しなくなることを悟っていたようです。

八重と日新館

兄・覚馬が教鞭を振るった日新館。戊辰戦争の前に結婚した川﨑尚之助も教授を務めるなど八重にとって深い関わりがある場所といえるでしょう。 戊辰戦争により校舎は焼失しましたが、もとは会津若松城の西隣に日新館の校舎があり、今は日新館の跡地を知るものとして残されてるのは天文台のみとなっています。

現在、ドラマなどで撮影に使われている會津藩校・日新館は、1987年に当時の図面より完全復元され河東町の雄大な会津盆地の高台に位置する場所にあります。観光施設として博物館、研修・宿泊施設、映画撮影所などを兼ね広く開かれています。